--こちらのお店はいま何年やられているのでしょうか。
創業が1927年です。ですから90年過ぎたくらいですね。私は二代目になります。主人のお母さんである先代が、新橋の「海老屋」さんという佃煮屋で奉公していて、その後独立して始めました。私は元々は大田区の大森の出身なのですが、1959年に主人と結婚してここに来て、そこから先代を手伝うようになりました。店の場所は、途中戦争でお店が焼けてしまって、一時別の場所で仮住まいがあったようですが、それ以外はずっとこちらです。お店の名前の、「鮒」 は、佃煮は割と川魚が多いというところから、「藤」は先代の親のお名前から取ったみたいです。
--どんなことを手伝われていたのですか。
先代がまだやっている時は、主に接客でした。 始めた頃はなかなかなかなか最初に「いらっ しゃいませ」が言えなくて(笑)。でもそれも 慣れですね。先代が引退されてから、自分で つくるようになりなりました。
--その頃から、この周辺は変わりましたか?
変わりました。私が来た頃は旅館が多かったんです。隣もその隣も、前は旅館だったんです。軒並み旅館だった。駅から近いので、修学旅行生もよく来ていましたね。今は昔からあった小さいお家がみんなビルになって、会社になっちゃうし、夜は誰もいなくなっちゃうし、何人も住んでいた人がいなくなっちゃいましたね。
--ここでずっと時代を感じて、街を見てきて、やられている間に、戦争以外で、閉店の危機のようなことはありましたか。
細々とやっているので、おかげさまでないです。デパートとかからのお誘いもあったけど、手を広げちゃうと失敗になりますから。私が80歳を超えて、いつどうなるかわからないので、娘や息子とこれからの話をしておこうかというのはありますけどね。
--どんなお客さんが多いですか。
やっぱり近くに住んでいるという人はあまりいなくなってしまいましたね。会社が多くなったから、お勤め人が多いかな。「うちの母親がよく買いに来ていて、頼まれてきました」と言って、わざわざ買いにきてくださる若い人たちもいますよ。この頃、外国人の方も多いので、ふらっと入ってきたりします。言葉はわからないのだけど、ほしいものがわかれば、100gいくらと紙に書いて見せたりしています。
--ここに立っている姿が本当に素敵です。
ここは落ち着きますね。お休みなんかでどこも行かないで戸を締めてテレビなんか観ていると「つまんないなぁ」って思います。やっぱり表を歩いている人を見ていたりするのが面白いんですよ。今年はあんな格好が流行しているんだとか。それと近所の方が来て世間話したり、時にはお裾分けもあったりしてね。やっぱり人情がありますよ。だから住み良く て、ここからは離れたくないんです。狭くてもここがいい(笑)。